犬が死んだときの話

皆さんは飼っている犬が死んだこと、ありますか?

私は小学生の時に犬が死んだことがあります。
うちの小学校よくわからなくて。
よくある合唱コンクールとか1mmも無いのに「けん玉大会」てのがあって。
どれだけ長い間「もしもしかめよ」をしていられるか競うんですよね。
全校生徒が体育館に集まって、全員一斉に。
確かその頃、犬が死ぬかの間際の日で。
泣きながら「もしもしかめよ」をして見事校内3位に輝いたことがあります。
花奈澪です。

 

二度目に犬の最期を体験をしたのが
昨年の、クリスマス前。2019年の12月12日でした。

愛犬のご位牌ネットでクリスタルの位牌をみつけて、購入。
お盆には、大好きだったりんごを備えました。

愛犬ロザリーの写真

愛犬ロザリーの写真

彼女はとても、エンターテイナーでした。

愛犬ロザリーの写真

階段の登り方がアクロバティックとか言ってツイッターでバズって。
いろんなまとめサイトに掲載されたり、志村どうぶつ園に出たりなんかして。


飼い主なんかより売れたとっても人気ものの犬でした。

彼女はとても『愛嬌』に満ちていた。
私が家をでる時は、階段まで来て、隙間に顔を突っ込んでお見送りをしてくれた。

鉄格子から顔をのぞかせるその時間を私は、囚人との面会ごっこと呼んでいて
「大丈夫だから!また来るからね!元気でやるんだよ!!!!」と涙混じりに家をでる(嘘)ことが楽しみだった。

彼女は、トイプードルのさらに下のサイズ、ティーカッププードルの中でも小さい方で体重は1キロちょっとしか無かった。だから肩にすら乗ってくるのだ。
筆者の肩に乗る愛犬ロザリー

小さな身体だから身体が弱くて、膵臓だの脾臓だの、何度か手術をしたことがある。
自分じゃ、犬は買えないなぁとつくづく思った。
半端の無いお金が掛かります
私の、悲しき稼ぎじゃ到底無理だ。

彼女は、抱っこされるのが大好きだったし、
すぐに膝どころか胸まで登って来ては顔を舐めて来た。

 

衰弱する愛犬ロザリー
死にゆく彼女は、とても素晴らしい良い子だった。

カロリーのあるものは一切摂取しなくなった。
腎臓を悪くし下血し続ける中でも、
死のほんの直前まで自分の力でふらりふらりと時間を掛けてトイレへ行き、
水飲み場へも行った。
すると帰りは必ず少し遠回りをして、自分の寝床へ戻った。

一見、まだまだこのまま生きてくれると幽かに思ってしまうほどだった。
でもそれはただの願望だと。
なぜだかはわからないが”死が近づいていること”はもっとも正確な決定事項として分かってしまうのだ。”ああ、この子はまもなくんでしまうのだ”と。

稽古場に行くのが本当に辛かった。
だからこの時初めて、ここ何年か舞台をずっとやっていて良かったと思った。

頭に、台詞と動きさえ入っていれば、演技をすることはある意味勝手に出来るように身体に染み付いていたからだ、悲しくも。台詞を言っている時は悲しみを忘れられるありがたい効果の一方で、その分感情の高低差は心が疲れた。だがどんなに弱々しくなっても、まだ意思疎通が出来て、確かにそこに、まだロザリーは居た。

 

彼女は、りんごが大好きだった。
だから、最後の棺には、ペットフードとりんごを入れた。

 

彼女が骨になって帰ってくるその日までは、一瞬のことだった。
あまりにもその死に顔は、穏やかで。
「あら、ローちゃん起きてるのー?」ってなんども話しかけたくらいだ。

母は『私がお寺の人ならもうちょっと棺を可愛いデザインにするわね』と言っていた。ごもっともだ。ダンボールじゃあ、味気ない。

あまりにも美しい顔で、穏やかに前を見たまま
生き絶えているものだから、
ああ、このまま彼女をぬいぐるみにしてしまえたらいいのに、そう思った。

彼女の最後の姿は、なんとなく残しておきたくて。
twitterとかに載せたら、ちゃんと非難されるだろうと思うので記録として自分のHPに載せます。
死に顔があまりにも美しくて天使だったから。見たい方だけ ▷こちら◁ をクリックどうぞ。

 

死んだ後も、彼女がよくいたテーブルの下の陽だまりに、彼女がいるような気がした。
毛布にくるまるのが上手だった彼女が、そのふくらみの中にいる気がした。

 

死した翌日だっただろうか。
家の玄関を閉めて、稽古場へ向かうとき
彼女ロザリーの、フローリングの上を軽やかに歩くカチカチカチカチという足音が聞こえた気がして振り返った。
そのとき、なんとも当たり前のように
「そっか、ローちゃん死んで魂になったからついてこれるんかー!一緒行くか〜おいで〜」
まるで普通の顔をして、自分の口から言葉が出たことにビックリした。

『頭おかしいやろ』ってツッコミで全然いいんですけど、
この世に魂とかそういうのが存在するなら、あの時は確かに一緒に来たんだろうなと思う。

 

死の間際とても印象深かったのが
私のスマホの画面を、とてもまっすぐ見つめてきたこと。

旅行に行った時の写真、犬を飼っている友達同士で集まった”犬会”の写真、日常の動画。
思い出の写真たちを見せていたら、とても興味深く愛おしそうに見ていた。
病床で頑張る愛犬ロザリー 病床で頑張る愛犬ロザリー 病床で笑顔を魅せる愛犬ロザリー
自撮りをしたら、虚ろに横たわる毛布からすごい勢いで起き上がってカメラ目線なんてしてきて。
今まで全然カメラ向けても見てくれなかったのに。

ツイッターでバズった”後ろ向きに階段を登る動画”なんて、
数秒のループだから、画面の中の自分を右から左へと眺めては、その流れで、スマホをもつ私の顔をじっと見て。そしてまた右から左へと視線を。それを延々と繰り返していた。

 

だからツイッターで、皆さんの言葉を聞かせて上げたくて募集した。
数えきれない励ましのメッセージをくださった皆様、ありがとうございました。

芸能人でもなんでも、死んだら訃報が流れて、
生前の思い出やら、弔いの言葉が溢れるじゃないですか。

そんなことって切ないから。
生きてる間に。
彼女が生きた世界のほとんどはこの家の中だけで。
家の中だけが世界だった彼女に、

あなたが生きたことは、きちんと誰かの記憶に関与したのだよと教えてあげたかったんです。

 

最後に。
彼女がそう長くないことを数人の近しい友人に伝えた時。
その日のうちに会いに来てくれた親愛なる友人が居ました。

昔のようにしょっちゅう会うことも減り、
近いようで違う道にいる彼女を
心の中で、遠い距離にきてしまっていると思っていた。
だけどやっぱり、そこが彼女の魅力だった。

会う回数じゃない。
互いに義を尽くせること。愛情に誠実であること
これが、私が胸を張って”親友”と呼べる人だと思った。

家に訪れた友人の顔をみた瞬間のロザリーの、目を開き嬉しそうに驚いた顔は、今でも忘れられない。

ロザリーとの思い出話を送ってくれた他の友人たちにも。
ここに心からの、感謝を記します。

愛犬ロザリーと最後の2ショット

こんなにもまっすぐレンズを見つめた彼女の気持ちは、どんな気持ちだったのだろう。

忘れないで、かな。

願いが一つだけ叶うなら、もう一度だけロザリーに会いたい、遊びたいと今はまだ願ってしまうけれど。

 

後、もう一匹のことだけは、また少しだけ書きたいな、いつか。

愛犬ロザリーとオスカルの2ショット

なみお

 

コメント

  1. ボンビ より:

    最初だけ笑いましたが、あとはじっくりゆっくり読ませていただきました。
    自分はペットを飼ったことがないし、誰かを亡くしたこともないから共感することはできませんが、それでもなみぴさんがロザリーちゃんを大事に想って、ロザリーちゃんもそれに応えようとしていたことは伝わってきました。

    なみ速いいですね!これからもどんどん更新してってください!

  2. ちんまま より:

    ロザリーとの思い出や想いはリプライやメッセージですべて伝えたつもりでしたが、そうでしたか… 贈ったおもちゃはロザリーには大きかったのですね。でもその分オスカルがいつも遊んでくれてました。ありがとうオスカル。
    私も愛犬の死は3回経験してますから喪失感 分かります。ロザリーが与えてくれたモノ、そして旅立ち。彼女への感謝の気持ちが供養なのかと思います。家族や皆んなにめちゃくちゃ愛されてロザリーは幸せでしたね!
    わたし(勝手に)ロザリーを自分の愛犬のように思ってました すいません。
    でもこれからもずっと大好きなままで居させてください

  3. だみっちょ より:

    中学生の時に初めて飼った犬がわずか4歳の若さで天国にいきました。
    コリーが混ざっている雑種の中型犬です。
    夏休みの暑い午後でした。
    なみおさんのブログを読んで
    ビビりで後ろうろうろしながら散歩してた事
    たまに脱走して笑、でもただいま~って縁側の窓カリカリしてた事
    あんなに元気いっぱい走ってたのにある日へたりこんでしまった事
    それからはお家の中で一緒にいたけど
    最期は自分で外の自分のお家に歩いていっていつも眠る格好で天国に逝った事
    胸がギュッとなりました。。
    それから約20年経って今はトイプー(9歳♀)と一緒にいます。
    なんかのタイミングでフッといる感じがするのは
    もう一生あるんだろうなって思います。
    自分の話長々とすみません。。

    オスカルたん元気ですか?(*´ー`*)
    なみおさんも病み上がり💦
    舞台稽古もあるかと思いますがあまり無理せず
    ブログ楽しみにしています。

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