音楽劇「ジェイド・バイン」
無事に終幕致しました。
舞台監督から無事に荷下ろしの全行程が終了したと報告LINEがあり、ああ無事に完遂できたんだな。これで全て、今回の音楽劇「ジェイド・バイン」は終了しました。と書いて同時に眠りにつきました。なのでブログの続きはまた次の日の朝、書いています。
千秋楽、満席だったんです。
開演前に「今日ほぼ満席らしい!」ってアナウンスが楽屋に回ってきた時の、キャストとスタッフ全員に流れた、あの空気は、きっと忘れられません。だってキャストとスタッフが全く同じ顔して喜んでたんです。
シアター1010をオリジナル作品で埋めること。
それがこの時世いかに難しいことかわかっていた。だからこそ。
「こんなに埋まってる1010久しぶりにみた」「シアター1010って埋まるんだ」心にあかりが灯ったあのかけがえのない瞬間を、私たちは忘れない。
もちろん、開演前に全席完売することも素敵だけれど、幕が開いて公演を続けて、千秋楽に満席。
それはきっと、物語がお客様に届いて、そのお一人お一人の感想や感情が、力になって、みんなの想いが届いた証拠なのだと思うと感動が止みませんでした。
初日からの全9公演。ご来場いただいた全ての皆様、心よりありがとうございました。
渡し続ける物語。
彼の目は、心は我々に大きなものを遺した。
この物語は、誰かが誰かから、何かを貰い続ける物語。
もらったものが歪んだ方向に行くことも。間違った方向に行くことも。
それも全て”生きる”ということであり。
どんな人間にも物事にも、裏と表があり。
裏の自分に苦しめられることも。
同じく表の自分に苦しめられることも。
それが人間なんだ。
やはりこの世は美しいものがあるという最も残酷な現実だ。
ジェイドに教えられてしまった。
やっちまった。
前川優希のジェイドが教えてくれてしまった。
知らなくても良かったのに。また知ってしまった。
19人のキャストが。関わる全てのスタッフが。
私に教えてくれてしまった。
作って作って作って。
与えるだけで、出すだけでいいと思っていたのに。
また知ってしまった。
知ってしまった。
人間ではないはずのアンドロイドに。
教えられてしまった。
傍観者として生きることも。
心を誰かに渡して、誰かが受け取って。
それを誰かが書き記す。
これは、そんなシンプルな物語だ。
ただし、物語は誰かが記さなければ、残らない。
我々が生きた証を「ジェイド・バイン」という一冊の本に記せたなら幸いです。
誰もが悩みながら、葛藤しながらこの時代に生きている。
渡した者、渡された者。
残る者、逝く者。
私が役者として演じたのがダリア・ローダンテという女ならば
花奈澪本人はおそらく、ステム・アンバーだ。
書いているときはあまり思わなかったけど、これは完全に自分だったと終わってから気付かされる。
誰にも本質なんて分かられなくていいし
誰よりも傍観者であり
気付く人が気付けばいい
裏を引き
ギミックを愛し
それでいてレトロな感情を愛している
アンドロイドのシンカはまだまだこれからだ。
そしてジェイド・バインが、まだまだこれからでありますように。
はじめてみたよ、こんなに全員が”笑ってる”!
まだまだキャストへのお礼も書きたいので
続きは、次のブログで。
なみお
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